釉薬の歴史
人類が火を発見し、その周りの土が硬くなることを発見したのは今から数万年前と伝えられています。野焼きから始まり、穴を掘って窯を造ることが進歩すると焼成温度は時代とともにどんどん上がっていきました。その中で発見されたのが800度前後から熔けるソーダ釉と鉛釉です。これは西欧各地で発達したガラスの歴史でもあり、ソーダ釉は普通のガラス、鉛釉はクリスタルガラスに該当します。アルカリ釉は銅の添加によって独特のトルコ青釉を作り出し、鉛釉薬は同じく銅の添加によって緑釉をそしてそれがやがて中国へ伝わり唐三彩を生むことになったようです。また、イタリアで錫が添加されて乳濁したマジョリカの発達に結びつきました。その後、中国から日本へと唐三彩が伝わり、まねて奈良三彩と呼ぶようになりました。これがベースとなって千利休を中心に楽焼きが発達します。
一方焼成温度が1000度を超えるようになると燃料として燃やした薪の灰が自然に作品にかかり、釉薬となりました。日本ではこの灰釉がベースとなり中国からの技術と相まって様々な独自の釉薬が発達していきます。例えば、鉄を含んだ原料を使って黄瀬戸、銅を使って織部、白味を出そうと志野といった具合です。
この他にドイツが起源といわれる塩釉は、ソーダイオンを素地に付着させるもので主に常滑の土管などに使われました。
焼成温度が1300度を超えるようになると真っ白な磁器が製造できるようになります。磁器を英語でChinaと言うように中国での製造がやがて日本にも伝わり、有田での李参平による磁石の発見により、磁器が産声を上げる事になります。そしてその絵付け技術が評価されて、ヨーロッパへと伊万里を通しての貿易に結びつきます。
近年、化学分析技術が発達し、いろいろな材料が原子的レベルで解析できるようになりました。今までは感覚的に何と何を何杯ずつ配合するといった調合方法は、ドイツの科学者ゼーゲルによって作られたゼーゲル式を基にして計算によって求められます。




**写真:古常滑灰釉、三彩、曜変天目、有田色絵**
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